【特別インタビュー】レイザーラモンHG

有給プロレス代表のきしだくん(右)と固い握手を交わすレイザーラモンHGさん。 


 プロレスに興味を持つきっかけ(入口)として、学生・社会人プロレスは良い機会――。そう語ったのは、吉本興業所属の芸人であり、学生時代に『ギブアップ住谷』のリングネームで学生プロレスをやっていたレイザーラモンHGさん。学生プロレス時代に出会った相方(レイザーラモンRGさん)とお笑いコンビ『レイザーラモン』を結成し、劇場やテレビ、舞台など多方面で活躍しています。
 2024年6月28日(金)、社会人プロレス後楽園ホール大会の第2試合に出場するHGさんに、学生プロレス時代の思い出や試合への意気込みなどを聞きました。



コロナ禍で苦しい状況の学生プロレスに少しでも力になりたい

――今回、社会人プロレスからの試合への出場オファーを聞いて、まずは率直にどう思いましたか。

HG オファーに対しては前向きでしたし、出たかったというのが第一印象です。というのも、コロナ禍の影響で僕が学生時代に所属していた同志社プロレス同盟(DWA)に所属する現役の学生プロレスラーが一人だけというニュースを聞いて、学生・社会人プロレスに対して何か少しでも力になれたらと思っていました。2017年には関西で活動する学生プロレス団体のオールスター戦である『関西学生プロレス祭』に相方のRGと一緒にゲスト出演したのですが、その時も同じ気持ちでしたね。

――今回、オファーを受けてくださって、われわれとしても大変うれしく思います。社会人プロレスの存在自体はご存じでしたか。

HG 知っていました。学生プロレスをやっていた時に愛知の社会人プロレス団体と交流があり、存在自体は認知していました。ですので、プロレスにハマった社会人たちによるサークル活動としてのプロレス団体が全国各地に存在していることは想像できます。


新日本プロレスの棚橋弘至選手と闘った学生時代

――なるほど。HGさんの大学時代(1990年代)には、現在よりも学生プロレスをやる学生は多かったのですか。

HG はい。DWAとRWF(立命館プロレス同好会)の両校併せて、30人以上の選手が所属していました。なので、試合数が多く、みんなやりたいことを詰め込むせいで、一興行当たり3~4時間くらいやっていましたね。興行が終わった後、「ギブアップ住谷さんですよね?」と学内でよく声を掛けられまたものです。もしかしたら芸人としてデビューした時よりも、人気者だったかもしれません(笑)。

――学生プロレス時代の友人たちと現在も交流はあるのでしょうか。

HG ありますね。年に一回程度会ってお酒を飲む仲です。数年前まではコロナ禍の影響で会えていなかったものの、昨年には久々に同窓会が開催されました。学生時代の後輩であり、現在は新日本プロレスの社長を務める棚橋もこの会には参加してくれていて、今年も5月に開催できないかと現在企画中です。

――日本を代表するプロレスラーである棚橋弘至選手の一年先輩がHGさん、という関係性ですよね。学生プロレス時代に棚橋選手と試合されたこともあると聞きました。

HG そうなんです! 学生時代、京都統一ヘビー級ベルトというタイトルを勝手につくって皆で競い合っており、自分は同タイトルを保持していた一年先輩のペガサスけんじさんとのタイトルマッチに勝利してチャンピオンになったのですが、その後プロ志望だった棚橋に負けて彼にベルトを奪われてしまいました。この2試合は学生プロレスの思い出の中で、特に印象に残っています。

――所属選手が多かった時代にチャンピオンとして活動されていたのは流石です。他に学生プロレス時代の思い出で印象深いことはありますか。

HG 当時はアメリカンプロレスのスタイルが選手間で流行っていたのを憶えています。DWAのOBにアメリカで仕事をしている方がいて、WWF(現WWE)やWCW、ECWなどのビデオが定期的に送られてきたので、友人たちとよく見ました。1990年代のアメリカンプロレスと言えば、僕たちのコンビ名の由来であるレイザーラモンことスコット・ホールやアルティメットウォーリアーなど錚々たるメンツが揃っていたので、ビデオはとても面白かったです。棚橋はアルティメットウォーリアーが好きで、彼をオマージュしたTURNER THE INSERT(棚橋選手の学生プロレス時代のリングネーム)としてリングに上がっていましたし、バイクのタンクを星条旗の柄にしていましたね。
 また試合に関して、デスマッチもやっていたのを憶えています。といっても有刺鉄線の代わりに針金だったり、机でなくベニヤ板に叩きつけられたりする緩めの“エセデスマッチ”ですけど(笑)。他にも画鋲の針を抜いたうえで画鋲デスマッチをやったり、花火玩具であるかんしゃく玉のうえにボディスラムされたりしたこともあります。かんしゃく玉は結構痛かったですね。



「プロレスをやること」を趣味にして、プロレスをメジャーに

――6月28日の大会はゲスト出演でなく、第2試合にプロレスラー(選手)として出場していただきます。試合に向けて、ご自身のコンディションはいかがでしょう。

HG 上々です! 女子プロレス団体STARDOMで活躍するプロレスラー岩谷麻優選手の半生を描いた映画『家出レスラー』(2024年5月公開予定)にレフェリー役として出演したのですが、撮影の合間に受け身やロープワークをやって、リングの感触を確かめていました。リングに上がるのはとても久々でしたが、動きは意外と忘れていませんでしたね。身体づくりで言えば、日常生活で繰り返し行う動作をベースに全身を鍛えるクロスフィットのトレーニングを続けているので、コンディションはバッチリです。

――第2試合のタッグガントレットマッチには合計14名の選手が出場します。出場選手の中で、特に誰が気になりますか。

HG (出場選手一覧を見ながら)えぇ~誰ですかね……。こうして見るとリングネームが学生プロレス伝統の下ネタリングネームでない選手が多いですね! 

――社会人プロレスの選手は普段、普通に仕事している方々ですから、コンプラの厳しい現代に沿ってマイルドな名前になっていくのかもしれません(笑)。

HG あぁ~なるほど! 僕の学生時代には『アナ・ルッテン』(元ネタは90年代に活躍したオランダの格闘家であるバス・ルッテン選手)という後輩、他に『ミスター・珍POGO』(元ネタはミスター・ポーゴ選手)や『あそこさする』(元ネタは浅子覚選手)など、下ネタリングネームのオンパレードでしたからね(笑)。
 第2試合で気になる選手の話題に戻りますが、選手を見ていて他に気になった点として顔バレを避けるためか、マスクを被っている人もいますね。あと、リングネームの元ネタがプロレスラーでない人も意外と多いと思いました。そういう意味では、名前の元ネタがプロレスラーであり、素顔を出して下ネタっぽい名前で堂々と活動しているグレート-GO-カーン選手(元ネタは新日本プロレスのグレート-O-カーン選手)が気になりますかね! 年齢も22歳と若くてフレッシュですし。

――第2試合、とても楽しみにしています! 最後にご来場されるお客様にメッセージをお願いします。

HG 社会人の趣味として草野球やフットサルが挙げられるように、「プロレスをやること」も趣味としてできることを示して、プロレスをもっとメジャーにしていきたいです。今までプロレスを全く見たことがない人にとって、いきなりプロの試合を見に行くのは少しハードルが高いかもしれません。だからこそ、友達や職場の同僚が出場している社会人プロレスは見に行きやすいと思います。プロレスに興味を持つきっかけ(入口)として、学生・社会人プロレスは良い機会となるでしょう。ぜひ一人でも多くの人に見ていただきたいですね!

(2024年3月31日収録)


●レイザーラモンHG

本名・住谷正樹。185㎝73㎏。兵庫県出身。1975年生まれ(48歳)。高校卒業後、同志社大学に入学。入学当初は日本拳法部やテニスサークルに入り、“キラキラしたキャンパスライフ”に憧れるも1回生の夏休み前に学内で学生プロレスの試合を観戦し、自分でもやってみようと同志社プロレス同盟(DWA)に入門。『ギブアップ住谷』のリングネームでデビュー。中学・高校時代にサッカーで鍛えた身体能力と大柄な体格から頭角を現し、DWAのエースとして活躍。学生プロレス時代の得意技は喉輪落とし。第11・13代京都統一ヘビー級王者。第2・5代京都統一タッグ王者。Instagram:razorramonhg YouTube:レイザーラモンHGチャンネル。



社会人プロレス後楽園ホール大会 公式サイト

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